2022年08月01日

臨床歯科を語る会

7月2・3日に3年ぶりに臨床歯科を語る会が開催されました。コロナの第7波が来る前に開催できたことは何よりでした。今年は分科会と全体会の発表を依頼されたので、3年ぶりの開催にふさわしいものになるよう準備を進めました。皆が集まる会は、やはり臨場感が違いました。久しぶりに楽しい会でした。しかし毎日発表があったため、懇親会は翌日の準備のため早々に切り上げました。もう少し多くの方々とコミュニケーションできると、もっと良かったと感じました。
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2022年07月28日

越後三十三観音巡礼その4 後半

越後三十三観音巡礼その4 後半
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越後三十三観音巡礼その4

先月6月26日に4回目の霊場巡りを行いました。第九番札所は広済寺です。柏崎市高柳にあります。近くに「じょんのび村」があります。
 ■ご縁起
黒姫山の如意輪観世音は、霊験あらたかで、機織の熟達を願って、子女が盛に参詣したという。明治維新の神仏分離の頃、山上の観世音は何者かによって谷底へ落とされてしまった。村人は、谷川より漸く観世音を見つけたが、破損した部分がなかなか見つからなかった。そこへ旅の僧が通りかかり、破損した部分を次々と見つけると姿が見えなくなってしまった。人々は、その僧を観世音の化身ではないかと語り伝えている。広済寺は、天正年間に、佐橋朝広によって開創され本尊は如意輪観世音であり、後に別当となった。
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第十番札所は長徳寺です。十日町市朝栄にありご本尊は千手観世音菩薩さまです。こちらは阿吽像のある入り口から、とても立派で今まで巡拝した中でも随一の佇まいでした。
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参道も素晴らしく整備されていて、多くの方々に厚く支持されていることが随所に垣間見られました。また戦争時の外国の方の労働者を慰霊する場所も裏手にあり、土木関係からもきっと多くの支持を得ていると思われました。

■ご縁起
延暦20年(801)征夷大将軍坂上田村磨の開創で、僧延鎮作と伝えられる御丈四尺二寸の千手観音は、京都清水寺の観世音と同木といわれている。田村磨は、奥州に勢力を持つ高丸という逆賊を退治して帰京するおり、この地に休息をし、再び出発しようとすると、不思議にも観世音は盤石のごとく動かなかった。
田村磨将軍は、ここに一宇を建て、観世音を奉安し、家来の伊勢ノ平氏、友重等を守り役として残し、帰京した。その名残りで、この周辺の地名は伊勢平治、友重となったと伝えられている。



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第十一番札所は大福寺です。こちらは南魚沼市長崎にあります。ご本尊は聖観世音菩薩さまです。こちらにはとても大きなイチョウの木がありました。思わず対比の写真を撮影しました。
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 ■ご縁起
本寺は聖徳太子の開基にして、開祖は玄珍法印なりとか。弘法大師越後国巡化の折、薬師仏及び十二神将を金精山の巌窟に安置し大福寺の奥院と称した。なお観音様は三十苅という所にあって三十苅の観音様として深く言仰されたが、明治に入って現在地に移された。寺も観音堂も一切の記録を焼失しており詳しく知ることが出来ない。本尊聖観世音菩薩は弘法大師御作と伝承されている。

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2022年07月27日

越後三十三観音巡礼その3

先月6月16日に3回目の霊場巡りを行いました。この日は刈羽村の第五札所から柏崎市の第八札所までお参りさせていただきました。第五札所は宝蔵寺です。
■ご縁起
 本尊十一面観世音は、弘法大師御作といわれ、上杉謙信公も深く信仰しておられた。川中島の戦の頃、謙信公は「若し戦に勝利を得れば、御供料を寄進し、長く子孫に言い伝え、信奉さすべし」と観世音に誓った。勝利を得た謙信公は、その誓い通りに、寺領八十石余りを寄進した。その後、上杉景勝が米沢へ国替の時、当寺も同道することになって観世音を舟に乗せたところ、いっこうに舟が動かず、よって元の所に安置した。このことから山号は、普光を不退山と改めた。
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第六番札所はやはり刈羽村にある常楽寺です。ご縁起は以下のようになります。
■ご縁起
 天平8年行基菩薩、諸国修行の折、森々としたここの霊窟を仏法応化の地であるとして暫く留錫された。毎夜北方に不思議な光りあり、見ると四尺四方の井戸があり、行基菩薩が錫杖をもって井戸の中をさらってみると三尺余りの霊木であった。御仏の与えられた物と思い、みずから彫刻して正観世音を安置し、一宇を建立した。幾多の興亡盛衰を経て今日は無住職になっている。
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第七番札所は柏崎市藤橋にある摩尼珠院です。道路のすぐそばで驚きました。

■ご縁起
 聖武天皇の頃、およそ一千二百有余年前1人の六部が摩尼珠院を訪れ、「これは越後藤橋の観世音である。」といって、1体の聖観世音を置くと、いづことも無く立ち去って行った。それ以来、この村に良い事が続くので偏えに観世音のお陰であると思い、道端に御堂を建て、観世音を安置したところ、あまりにもあらたか故に、馬に乗った武士が、この御堂の前を通ると落馬して怪我をすることが度々起った。それで今度は、近くの閑静な山の中腹に御堂を建てて安置したら、それからはまた、村に平和が訪れたという。また、平成17年、御堂の老朽化と地震により、寺院内に移し、安置しました。

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第八番札所は柏崎市宮之窪にある不動院です。こちらはあまり看板などなくちょっとわかりにくい場所にありました。

■ご縁起
 大同2年、空咢上人の開創で、その頃は、大木茂り鷲が多く棲んでいたので、鷲尾山といい、不動仙示現の地であるところから不動院という。本尊千手観世音は、延文3年、仏師弘円上人の作と伝えられ、桂材で彫刻された御丈五尺の尊像である。昔は、堂塔伽藍8棟が建立され、上杉謙信公の祈願所として栄えたが、天正6年の兵火で伽藍、宝物など一切を焼失した。本尊観世音は、その時谷底へ投げ落され、あやうく難を逃がれた。昔栄えた寺の跡は、今でも山上に残って往時が偲ばれる。


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今回の巡拝では、本当に誰にも会うことはありませんでした。お寺の方にもお会いすることもありませんでした。コロナのこの時期にはぴったりと感じましたが、本当にこのような文化的建造物の維持の大変さが随所に垣間見られました。また歴史の中では火災によって焼失することが多いことにも驚きました。現代では人に会うこともないのに・・・
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2022年06月29日

越後三十三観音巡礼その2


1日で2番札所から4番札所まで行ってきました。妙高から柏崎と比較的近くでしたので頑張ってお参りしてきました。いろいろ歴史的背景を調べてから行きましたが、栄枯盛衰が激しく、また維持管理の大変さが随所に垣間見られました。
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6月5日に2回目の越後三十三観音巡礼をしてきました。まずは2番札所 摩尼王寺に行きました。ネットでは民家のような写真でしたが、プレハブ車庫の中に収められていました。その昔は七堂伽藍がそびえ・・・時代の流れを感じました。
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第3番札所は大泉寺と言って柏崎市大清水にあります。こちらの縁起は以下のようになっています。以前は国宝にも指定されていただけあって、現在もその佇まいは幽玄で・・・大型バス駐車場があったりして、各札所にはいろいろ違いがあるなと実感させられました。ただ山門阿吽の片方が修理中で不在だったり、その他施設も・・・維持管理はどこも本当に大変なんだと推察されました。

朱鳥元年(686)持統天皇の勅願により泰澄大師観世音を刻まれて御堂建立。お前立の観世音(県文化財)は上杉謙信の父長尾為景の寄進である。本尊観世音は身代り観音と称せられ多くの人々の信仰を集めている。現在の御堂は上杉家の寄進で永禄2年(1559)再建されたもので、県内最初の国宝建造物と指定され現在は重要文化財。その格調高い手法は斯界に驚嘆されている。堂内丸柱中1本の柱は太さで日本一の萩の柱と確認されている。海抜200mの山頂に位し幽玄なる仙境と眼下に見下す眺望は正に絶景である。堂前から少し下がった所に新潟県の名水指定の清流が流れている


サイガに
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第四霊場は、少しわかりにくいところで近隣の住民の方に駐車場の場所などお聞きしたのですが、少し友好的対応という感じではありませんでした。近隣の住民の方が、皆もろ手をあげて歓迎しているわけではないことを実感しました。なるべく迷惑にならないように気をつけてお参りさせていただこうと思いました。


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2022年05月31日

越後三十三観音巡礼を始めました

長引くコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻など世の中に暗いニュースが多いので、何かしようかと思い調べていたら、越後三十三観音巡礼に巡り会いました。
公式ホームページには以下のように記載されています。

三十三カ所観音霊場の巡拝は、養老2年(718)大和国長谷寺の徳道上人によってはじめられたといわれています。伝説によれば、急病で亡くなった徳道上人は、冥界で閻魔大王に会い、悩める人々を救うために観音霊場を定めてほしいと頼まれ、三十三の宝印を授かりました。この世に帰された上人はさっそく近畿地方に三十三カ所の霊場を定めました。これが西国三十三所巡礼のはじまりです。現在、各札所参拝のおりに押していただくご朱印は、この閻魔さまから授かった宝印を起源とします。
 上人が開いた観音巡礼はすぐに世に広まりませんでしたが、その280年後花山法皇が西国三十三所を巡拝してから大いに発展しました。花山法皇は各霊場のご詠歌を定め、それを木札に記して霊場ごとに打ち付けて歩きました。札所を巡拝することを「打つ」というのはこのことに由来します。
 さて、西国観音巡礼がさかんになるにつれ、各地に三十三観音霊場を設ける気運が高まってきました。越後三十三観音霊場は、鎌倉幕府五代執権北条時頼(1227〜1263)が康元元年(1256)越後回国のおりに定め、ご詠歌を作ったと伝えられています。北条時頼は善政をしいた名君として知られ、宗教心にも厚く後に出家して最明寺入道と号しました。越後札所の第33番には寺名にその最明寺の名がつけられています。
 観音霊場を巡拝する人は、もとは般若心経や観音経を写経して、それを各霊場に納め、そのしるしとしてご朱印をいただいたものでした。ご朱印をいただく帳面を納経帳というのはこのことによります。現在では参拝のしるしとしてご朱印をいただきますが、観音さまを信仰する証しとしてのご宝印ですから、心を込めて参拝し、できれば般若心経などをお唱えしてからいただきたいものです。

世の中の安寧を祈念して、巡礼を始めてみました。
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妻と二人、誰にも会うことなく、しっかりとお参りしてきました。

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2022年04月26日

復活

がらにもなく1月に沢山書いたので、2月・3月はなんとなくお休みしてしまいました。4月になり雪が消えて庭の植物もいろいろ変化が出てきました。高田の桜とブルーインパルスもなかなかでしたが、個人的には2年前の大雪で根元から折れてしまった蝋梅の木に起きた変化が感動的でした。
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2年前の大雪はひどく、自宅もそうでしたが、診療所の庭の木も大きな被害を受けました。上の写真は雪が溶けてきた時に撮影したもので、正面の椿の奥、右上に蝋梅が根元から折れて横たわっていました。雪が消えてから破折部を切断し根っこだけは抜かずに放置していました。今年、根だけになっていた蝋梅の木に、驚くべき変化が確認できました。
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根しかなかった蝋梅の木の横から新たな幹・枝が出現し青々とした葉をつけ、まさに復活・再生といった感じです。植物の生命力に感動し、人もかくありたいとしみじみ感じました。
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2022年01月20日

QDT 1・2月号

コロナ禍で時間があったので、原稿依頼を受けて、久しぶりに原稿を書きました。 QDT 1・2月号に前後編で掲載されます。よかったらみてください。いろいろご指導・ご助言をいただければ幸いです。

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リレー連載 補綴設計『今ならこうする』
─変わりゆく材料・コンセプト・ニーズの中で、各時点での「最善」を考える─
第1回 すれ違い傾向の残存歯偏在症例に対する補綴設計(前編)
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水漏れ?

今週の月曜日、出勤前にスタッフから玄関に雨漏りのような水漏れがあるとの連絡が入り、急いで診療所に向かいました。確かに水漏れしていて、休日の暖房などがない間に配管などが凍結で破損したかと考え、当該場所の二階に上がってみると、屋上がプールのようになっていて、その水が壁の接合部から侵入しているようでした。なぜ水がこんなに溜まったのか、長靴を履いてプールのような屋上を調べてみると、排水溝の蓋の中に落ち葉のようなものが絡みつき排水できない状況であることがわかりました。屋上は今回の改装で防水加工をしてもらったのですが、排水溝の件は説明を受けていなかったのでちょっとパニックでした。蓋を外した途端ゴーという音とともに排水が始まり、水位が下がり始めました。だいぶ水位が下がってからこの衝撃的な状況を写真にと思い撮影したのですが、すでに水たまり程度になった写真しか撮影できませんでした。何事もチャンスを逃さず記録にとどめることは難しいと感じました。
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この後、漏電の検査に電気屋さんが、断念剤の浸水具合を大工さんが、壁紙の状態を内装屋さんが調べて、最悪壁を剥いで工事になるかもとのことでした。新年から良い厄落としができたと思いたいです。
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2022年01月05日

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。今年の最初の写真は歯科医院の方の神棚を掲載してみました。年末年始は何かと忙しく過ごしていたような気がしましたが、気持ちだけが追い立てられていただけで、思い返せば大したこともしていませんでした。テレビでは初詣のニュースが、コロナを忘れたかのような人流を映していました。第6波が拡大しないことを祈るばかりです。
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当方の初詣はこんな感じで、人に会うこともなく、十分なソーシャルディスタンスを保つことができました。神様もお願いを聞き届けて、くださりやすいのではないかと感じています。今年の新潟の冬は、昨年に比べ雪も少なく過ごしやすい状況です。ただ気温は低く立派な氷柱が育っています。
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