2023年01月08日

越後三十三観音巡礼 完結その3

いよいよ最後となりました。第33番札所は最明寺です。所在地は三条市院内193 ご本尊は千手観世音菩薩様です。

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世界平和やコロナの終結を願って初めた巡礼でしたが、なんとか無事に終えることができよかったです。今年願いが叶うことを期待しています。

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■ご縁起

 天平年間の開基で法相宗の深じん諦たい法師が行基菩薩御作の千手観世音を安置して開創した寺である。七百年前の康元年中、北条時頼諸国行脚の砌、当寺に立ち寄った因縁に依り、寺号を許され千手院を最明寺と改め、真言宗に改宗した。正保2年に寺が全焼し、古い記録が焼失したのは残念であるが千手観音像(御丈三尺七寸)は難を免れて現在に至っている。仁王門は明治3年建造、本堂と観音堂は明治27年の火災後建立されたものである。延宝4年に京都智積院の末寺となり、真言宗智山派に属している。


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越後三十三観音巡礼完結その2

長く続けてきた越後巡礼シリーズもこれで最後となります。
第32番札所は宝塔院です。所在地は三条市東裏館一丁目6−5 ご本尊は聖観世音菩薩様です。
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■ご縁起
 貞観元年(859)性鑁法師により開創された。城主、三条定明公の祈願所として栄え、奥方千坂姫の菩提寺である。定明公はここに守護持仏を奉安し、公没後その霊と一子の菩提の為、姫は観世音を念じ生涯をここでおわられた。千坂姫の戒名は宝塔院殿普門妙泉大禅尼である。本堂左側、千坂姫宝篋印塔、一子を祀つる千坂地蔵尊、三条地震亡霊塔(市文化財)は本尊と共に参拝者はあとを絶たない。8月10日は三条3大まつりの1つで子安観音祭は多くの市民が参詣する。



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越後三十三観音巡礼完結その1

第30番札所は普談寺です。所在地は新潟市秋葉区朝日2503です。ご本尊は十一面観世音菩薩様です。DSC_1337.JPG
山門にはなかなかユニークは目をした像が出迎えてくれました。やはり階段を登っていくと
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清々しい空気につつまれた建物を拝見することがきます。
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■ご縁起
 創立年代は不詳、長い間、寺運衰微のところ承応2年(1653)僧良快の中興に依って寺運を挽回するを得た。
観音堂に安置する十一面観世音菩薩の木像(一尺三寸の白色座像)は聖徳太子の御作と伝えられている。上杉謙信・景勝公、当国を領せし折、その家臣本庄重長此の郷の守となりてあつくこの尊像を信仰したが、その後新津城主丹波守勝資、以降代々城主が帰依渇仰した。観音堂の在る地を光明山、また五明山と名づけ祈願所となっている。

第31番札所は正円寺です。所在地は五泉市村松甲6335です。ご本尊は聖観世音菩薩様です。
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こちらでは誰にもお会いすることなく、静かにお参りしてきました。
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どこかと違って、締め切ることもなく、気持ちよく全開でした。
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■ご縁起
 当寺は延暦15年(796)伝教大師が開基とし、応徳元年(1084)天台宗より真言宗に改宗し、善慶上人を開山とする寺である。正保元年(1644)堀家が村松へ移封になると、当寺を祈祷所と定め、元禄5年領主堀左京亮直利公が現在の観音堂を寄進された。拝殿は明治維新前に大破したので取りこわされた。観音堂はかつての奥の院で内部は、極彩色の花鳥の彫刻で、元禄の面影をのこしている。此のお堂も破損甚しく、昭和59年9月土台の改造、屋根の改修を行い面目を一新した。観音堂は、山門を入った参道左手奥の方に位置している。
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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年12月は慌しさに紛れブログの更新ができませんでした。今年も月一の更新を目標に頑張っていきたいと思います。さて昨年は越後33観音巡礼を行い、無事全てをお参りすることができたのですが、ご報告できなかったので新年最初にありがたいお寺の写真をたくさんアップしていきます。

第28番札所は白蓮寺です。所在地は新発田市五十公野1856です。ご本尊は十一面観世音菩薩様です。
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こちらのお寺は猫が外に出るとのことで、締め切ったままでした。残念!
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■ご縁起
 人皇51代平城天皇の御代、大同2年、慈覚大師が仏教弘道の使命を帯びて聖徳太子御作の十一面観世音菩薩の尊像を捧持して当国へ御来錫された。その時大師は奇巌怪石重畳たる岩井戸山に登り、恭しく尊像を奉安して護摩迦行をされ観音夢想に依り当地を開闢された。或る夜白衣の乙女が白蓮を慈覚大師に授け、消えるが如く飛び去ったので大師は岩井戸山を観音霊地と定め、四十間四方の浄地を境内となし、大悲十一面観世音菩薩の尊像を安置して岩井山白蓮寺の草創としたのである。

第29番札所は宝積院です。所在地は北蒲原郡聖籠町諏訪山578です。ご本尊は十一面観世音菩薩様です。
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こちらの駐車場から大きな衝撃音が聞こえびっくりして見に行くと、奥様と思しき方が車庫のポールと接触されたしまったようでした。もろもろ軽症でありますように。お寺は階段が多く足腰が丈夫でないとお参りできません。
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■ご縁起
 天智天皇の頃、百合若大臣と言われる武勇に勝れた壮士がいた。この壮士は当山の洞より名鷹を得て、緑丸と名付けて可愛がり、鷹も忠を尽した。聖武天皇の天平9年、泰澄大徳が当地に来て、緑丸の追善供養の為、十一面観世音菩薩と仁王尊を彫刻した。平城天皇の大同元年、何処からともなく異人が来て堂舎を建て、この聖者が籠ったことから、聖籠山と名付けられた。慶長13年、新発田藩主溝口秀勝公は観世音菩薩への信仰が篤く、観音堂ならびに仁王門を再建し、永く国家鎮護、心願成就の道場とした。
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2022年11月12日

越後三十三観音巡礼その8

報告が遅れてしまいましたが、越後三十三観音巡礼も8月25日に第二十六番札所の乙宝寺から第二十九番札所の宝積院まで巡拝させていただきました。乙宝寺のご本尊は如意観世音菩薩様です。所在地は胎内市乙1112です。
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今までの中では一番広かった。
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五重塔もあったりして、施設も立派でした。
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案内板を見てもその雄大さがわかります
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■ご縁起
 奈良時代天平8年創建。聖武天皇の勅令により行基婆羅門両高僧建立。行基は大日三尊を刻み、婆羅門は釈尊左眼舎利を安置した。右眼を納めた寺を甲寺と呼ぶのに対して、左眼を納めた寺を乙寺と名づけたという。往古は乙きのと寺と称した。きのとの大日様とも呼ぶ。十万石の格式と一山に千の僧坊をかまえた霊場寺院として知られた。七堂伽藍が完備し、文化財の宝庫と共に天平の風情を今にとどめている。観音堂は江戸中期境内地桜園にあった。松尾芭蕉も奥の細道で参拝し、観音堂登り口に句碑がある。うらやまし浮世の北の山桜。

第27番札所は光浄寺です。所在地は村上市有明713です。ご本尊は十一面観世音菩薩様です。
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■ご縁起
 弘治2年玄徹禅師が郷清水の水底から光を発して現れた十一面観世音を本尊として安置したのが、寺の始まりという。その後、万治元年この観世音を信仰していた村人が西国巡礼に旅立った。ところが道中持病が起きて大変苦しんだ。そこで、一心に観音の御加護を念じていると、1人の老僧が現われて「汝の信心浅からざるによって、その苦しみを救うべし」と持っていた瓶の水を注いだかと思うと、病はすっかり治ってしまった。そして老僧が、自ら杖を作って与え消え失せた。老僧が杖を作るとき、小指を傷つけたが、今も観音の小指に傷跡が残っている。





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2022年11月11日

外壁工事終わりました。

9月からとりかかっていた外壁工事がやっと終わりました。海が近いため塩害の影響も大きく思いのほか時間がかかってしまいました。
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後ろの駐車場まわりも修復し、アルミサッシなども入れ替えました。
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来年の花火大会のために3階屋上への階段もリニューアルしています。また玄関前のベンチも交換しました。金属製はすぐに錆びてしまうので木製にしました。
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診療所の移転以来、少しずつ問題点を改善してきましたが、これでほぼ完成と考えています。お時間がありましたら遊びに来てください。
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2022年10月06日

越後三十三観音巡礼その7

7月21日には色々用事があり新潟市内に行きました。次の札所は新潟市内西堀にあるとのことでこの日はここのみ巡拝させていただきました。この辺りにはお寺が多く、ナビの案内では少しわかりにくい狭い道を入っていく形になります。巡拝される方は要注意です。
第25番札所 新城院 住所は新潟市西堀通8番1583 ご本尊は千手観世音菩薩様です。
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狭いですがこの中まで車で入れました。駐車場がこの中の場所のようで、おおきな車は気をつけてください。
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■ご縁起
 当寺は、鎌倉時代鑁照阿闍梨によって開創され、その後、新潟城主寄居土佐守の祈願所となった。境内には、本堂、観音堂、地蔵堂、金毘羅堂などが在ったが、明治初期の災火で諸堂全てを焼失してしまった。現在は、本堂内陣中央に大日如来、向って左に地蔵尊、右に礼所本尊の千手観音、摩利支天、歓喜天が祀られている。千手観音は、弘法大師作と伝えられ、一寸八分の木像であるが、昭和53年新たに等身大の檜造千手観音を造顕し、その頭部に納めた。
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2022年09月28日

外壁工事始めました

9月15日から外壁工事を始めました。新しい診療所は海のそばに立っているため、外壁や軒天の劣化が予想以上に早く、移転時にはしばらくは大丈夫と見ていたのですが、業者からもうそろそろということで足場から組み始めました。
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ちょうど台風の影響を受けそうな時期だったので、ネットは一週間後に貼ることになりました。
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なかなかの規模の工事になってしまいました。外壁の塗装まで10月いっぱいはかかりそうです。出来上がりが今から楽しみです。
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2022年08月23日

越後三十三観音巡礼その6


7月18日に、第21番札所から第24番札所まで巡拝させていただきました。
第21番札所 吉田寺 住所は燕市渡部1195 ご本尊は聖観世音菩薩様ですDSC_1224.JPG

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■ご縁起
 吉田寺のご本尊は、古来より黒滝城の守り本尊としてまつられた聖観世音(行基菩薩御作)であります。たまたま、戦国時代の城主照田越前守日下部吉傳は深く仏法に帰依し、自ら出家し、石瀬種月寺第七世樂崇文詔禅師の弟子となり、永正年間(約480年前)城内に寺を建立して吉傳寺と称した。1578年御お館の乱おこり、黒滝城落城とともに数名の武士が、命がけで当時砦であった現在の地に移して寺を建てた(吉傳寺→吉田寺となる)。その後、何度かの火災にあい、特に大正14年11月に不慮の火災で伽藍悉く焼失し、昭和3年、現在の伽藍が完成して今日に至っている。

第22番札所 国上寺 住所は燕市国上1407 ご本尊は千手観世音菩薩さまです。
こちらのお寺は、比較的有名です。最近では新たに飾った絵が話題になっていました。また吊り橋や弥彦に通じる参道があったりと色々楽しめるお寺です。
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■ご縁起
 国上寺の開山は遠く元明天皇、和銅2年、越後一の宮弥彦大神の詫宣により、建立された越後最古のお寺であります。孝謙天皇の御宇に当山は、国中上一寺の勅宣あり、中略して国上寺という。開山当時(709年)は、修験道であったが、時代の権力者に改宗され、法相宗、天台宗、真言宗醍醐派、真言宗豊山派へと現在に至る。住時には、上杉謙信公より十万石の格式を賜り、国上山の中に二十一ヶ寺、他県内外あわせると百三十有余ヶ寺の末寺があったが、時代の流れにより、現在数ヶ寺の末寺だけである。千手観世音菩薩は、聖徳太子が北陸御巡行の折、お登りになり、お作りになった仏様であります。

第23番札所 観音寺 住所は弥彦村観音寺453 ご本尊は聖観世音菩薩さまです。
入り口に大きな金色の観音様がおられます。これが目印になります。
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■ご縁起
 御本尊聖観世音は、聖徳太子御作と伝えられる。その昔、安倍貞任の残党、黒鳥兵衛征伐の為、京都より当地に下った、北畠中納言時定公の守り本尊であった。時定公は、戦いの途中武運つたなく戦死してしまったので、守り本尊の観世音は、この地に庵を建て、安置したのである。この観世音を「このめ沢の観世音」という。今はこのめ沢の地名は、どこか不明であるが、以前観音堂は七曲りに有った。この七曲りを、昔は、「このめ沢」と言ったことからきているらしい。平成15年(2003年)に再建。

第24番札所 景清寺 住所は西蒲区平沢455 ご本尊は千手観世音菩薩さまです。
近くには新潟県で最初にできたゴルフ場があり、その横の細い道を抜けていきます。
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■ご縁起
 昔景清という人がいた。源氏の家に生れたが故あって平家の一族となった。幼い頃母と同じ観世音の霊夢を見て作られたのが一寸八分の紫金の観世音である。この観世音の背後には景清の2字が刻まれている。源平の戦いで平家は亡び景清は悲運な運命をたどったが、常に観世音を念じ救われた。建保2年(1214)8月15日九州宮崎で景清は48才で亡くなった。景清の忠臣景門という人は、奥州飯田山の麓平沢村の出身であったが、景清の遺言によって観世音を守って故郷へ帰る途中この地を通り、故郷と同じ平沢村というのでここに観世音を安置して生涯をとじた。

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2022年08月15日

越後三十三観音巡礼その5 後編

この日は丸々1日かけて、まだまだ頑張って巡拝させていただきました。第十八番札所は長岡市岩井にある根立寺です。ご本尊様は正観音菩薩様です。こちらは関係者と思しき方が石組みの階段を手作業で修繕されていました。本当にお寺の形態や運営は様々であり、継承することの大変さが伺えました。
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■ご縁起
 天和年中(1681〜83)の頃、この地方に眼病が大流行して苦しむ人が多かった。古志郡上条村の田中清蔵という人は、この眼病の苦しみを観世音に救ってもらわんものと、観世音を念じながら7日間の断食をした。満願の日、少しまどろんだかと思うと、1匹の蝶が眼の中にとびこんだ。しばらくして夢から覚めてみると、両眼は開き、眼の病はすっかりなおっていた。清蔵は感激のあまり出家して名を清観と改め、一生をこの観世音につかえた。現在の観音堂は140年ほど前に再建され、町の文化財に指定されている。濡縁の袖と桁上の彫刻はすばらしく、このお堂の見所である。

第十九番札所は出雲崎町尼瀬にある光照寺です。ご本尊は正観音菩薩様です。こちらは幾つかのお寺が、色々入り組むようになっていて駐車場も少しわかりにくい状況でした。ただ参拝の方もほとんどおらず、どこに停めても問題なさそうでしたので、比較的迷惑にならないところに停めて、お寺を探そうとしていたら、越後三十三観音霊場巡拝の方の駐車場はそこではないと間髪いれずにご指導をいただきました。なんだかお寺の方も世知辛い・・・
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■ご縁起
 永保年中(1081〜83)の頃、尼瀬蛇崩の海上に毎夜光るものが見え、人々は恐れてここに近づこうとしなかった。その時、荒木甚助なる勇者がおり、或る日小舟で近づいてみると光の本体は観世音であった。甚助はおそるおそる観世音を持ち帰り、御堂を建て安置した。これが三光観音である。その後、謙信公の母堂がこの観世音に祈願したところ大願成就したので、荒廃した堂宇を再建し、自ら光照坊と称し開基となった。尚、当寺十二世玄乗破了和尚について良寛和尚は安永4年18歳の時出家得度し修業した。

この日の最後は第二十番札所の照明寺です。長岡市寺泊にあり海の見える高台にあります。ご本尊は聖観世音菩薩様です。
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この階段の先にお寺とそれに連なる立派な施設があります。またお福様という一緒に写真を撮ると福がもらえる像もあります。
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寺泊の鮮魚センターも近いので、こちらにお越しの際は是非立ち寄ってみてください。
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■ご縁起
 照明寺観音堂の御本尊聖観世音菩薩は、弘法大師入唐の祈願仏として、大師住房の高野山龍光院(中院御房)に安置してあったが、永承2年(1047)栄秀阿闍梨が霊夢に依り、尊像を背負って諸国を巡行中、当所が景勝の地であったため、一庵を結び、本尊を安置し、如意山宝光院照明寺を開創した。寺伝に依れば源義経や上杉謙信も武運長久を祈念し、また、元禄8年(1695)5代将軍綱吉公の息女が眼病平癒の霊験を受けた折、幕命に依り村上城主榊原政倫が、新しい観音堂を建立寄進したと云う。其の後曲折があり、大正15年現本堂を再建した。
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