先月6月26日に4回目の霊場巡りを行いました。第九番札所は広済寺です。柏崎市高柳にあります。近くに「じょんのび村」があります。
■ご縁起
黒姫山の如意輪観世音は、霊験あらたかで、機織の熟達を願って、子女が盛に参詣したという。明治維新の神仏分離の頃、山上の観世音は何者かによって谷底へ落とされてしまった。村人は、谷川より漸く観世音を見つけたが、破損した部分がなかなか見つからなかった。そこへ旅の僧が通りかかり、破損した部分を次々と見つけると姿が見えなくなってしまった。人々は、その僧を観世音の化身ではないかと語り伝えている。広済寺は、天正年間に、佐橋朝広によって開創され本尊は如意輪観世音であり、後に別当となった。
黒姫山の如意輪観世音は、霊験あらたかで、機織の熟達を願って、子女が盛に参詣したという。明治維新の神仏分離の頃、山上の観世音は何者かによって谷底へ落とされてしまった。村人は、谷川より漸く観世音を見つけたが、破損した部分がなかなか見つからなかった。そこへ旅の僧が通りかかり、破損した部分を次々と見つけると姿が見えなくなってしまった。人々は、その僧を観世音の化身ではないかと語り伝えている。広済寺は、天正年間に、佐橋朝広によって開創され本尊は如意輪観世音であり、後に別当となった。
第十番札所は長徳寺です。十日町市朝栄にありご本尊は千手観世音菩薩さまです。こちらは阿吽像のある入り口から、とても立派で今まで巡拝した中でも随一の佇まいでした。
参道も素晴らしく整備されていて、多くの方々に厚く支持されていることが随所に垣間見られました。また戦争時の外国の方の労働者を慰霊する場所も裏手にあり、土木関係からもきっと多くの支持を得ていると思われました。
■ご縁起
延暦20年(801)征夷大将軍坂上田村磨の開創で、僧延鎮作と伝えられる御丈四尺二寸の千手観音は、京都清水寺の観世音と同木といわれている。田村磨は、奥州に勢力を持つ高丸という逆賊を退治して帰京するおり、この地に休息をし、再び出発しようとすると、不思議にも観世音は盤石のごとく動かなかった。
田村磨将軍は、ここに一宇を建て、観世音を奉安し、家来の伊勢ノ平氏、友重等を守り役として残し、帰京した。その名残りで、この周辺の地名は伊勢平治、友重となったと伝えられている。
第十一番札所は大福寺です。こちらは南魚沼市長崎にあります。ご本尊は聖観世音菩薩さまです。こちらにはとても大きなイチョウの木がありました。思わず対比の写真を撮影しました。
■ご縁起
本寺は聖徳太子の開基にして、開祖は玄珍法印なりとか。弘法大師越後国巡化の折、薬師仏及び十二神将を金精山の巌窟に安置し大福寺の奥院と称した。なお観音様は三十苅という所にあって三十苅の観音様として深く言仰されたが、明治に入って現在地に移された。寺も観音堂も一切の記録を焼失しており詳しく知ることが出来ない。本尊聖観世音菩薩は弘法大師御作と伝承されている。