2022年08月15日

越後三十三観音巡礼その5 後編

この日は丸々1日かけて、まだまだ頑張って巡拝させていただきました。第十八番札所は長岡市岩井にある根立寺です。ご本尊様は正観音菩薩様です。こちらは関係者と思しき方が石組みの階段を手作業で修繕されていました。本当にお寺の形態や運営は様々であり、継承することの大変さが伺えました。
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■ご縁起
 天和年中(1681〜83)の頃、この地方に眼病が大流行して苦しむ人が多かった。古志郡上条村の田中清蔵という人は、この眼病の苦しみを観世音に救ってもらわんものと、観世音を念じながら7日間の断食をした。満願の日、少しまどろんだかと思うと、1匹の蝶が眼の中にとびこんだ。しばらくして夢から覚めてみると、両眼は開き、眼の病はすっかりなおっていた。清蔵は感激のあまり出家して名を清観と改め、一生をこの観世音につかえた。現在の観音堂は140年ほど前に再建され、町の文化財に指定されている。濡縁の袖と桁上の彫刻はすばらしく、このお堂の見所である。

第十九番札所は出雲崎町尼瀬にある光照寺です。ご本尊は正観音菩薩様です。こちらは幾つかのお寺が、色々入り組むようになっていて駐車場も少しわかりにくい状況でした。ただ参拝の方もほとんどおらず、どこに停めても問題なさそうでしたので、比較的迷惑にならないところに停めて、お寺を探そうとしていたら、越後三十三観音霊場巡拝の方の駐車場はそこではないと間髪いれずにご指導をいただきました。なんだかお寺の方も世知辛い・・・
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■ご縁起
 永保年中(1081〜83)の頃、尼瀬蛇崩の海上に毎夜光るものが見え、人々は恐れてここに近づこうとしなかった。その時、荒木甚助なる勇者がおり、或る日小舟で近づいてみると光の本体は観世音であった。甚助はおそるおそる観世音を持ち帰り、御堂を建て安置した。これが三光観音である。その後、謙信公の母堂がこの観世音に祈願したところ大願成就したので、荒廃した堂宇を再建し、自ら光照坊と称し開基となった。尚、当寺十二世玄乗破了和尚について良寛和尚は安永4年18歳の時出家得度し修業した。

この日の最後は第二十番札所の照明寺です。長岡市寺泊にあり海の見える高台にあります。ご本尊は聖観世音菩薩様です。
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この階段の先にお寺とそれに連なる立派な施設があります。またお福様という一緒に写真を撮ると福がもらえる像もあります。
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寺泊の鮮魚センターも近いので、こちらにお越しの際は是非立ち寄ってみてください。
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■ご縁起
 照明寺観音堂の御本尊聖観世音菩薩は、弘法大師入唐の祈願仏として、大師住房の高野山龍光院(中院御房)に安置してあったが、永承2年(1047)栄秀阿闍梨が霊夢に依り、尊像を背負って諸国を巡行中、当所が景勝の地であったため、一庵を結び、本尊を安置し、如意山宝光院照明寺を開創した。寺伝に依れば源義経や上杉謙信も武運長久を祈念し、また、元禄8年(1695)5代将軍綱吉公の息女が眼病平癒の霊験を受けた折、幕命に依り村上城主榊原政倫が、新しい観音堂を建立寄進したと云う。其の後曲折があり、大正15年現本堂を再建した。
posted by ニレイ at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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