2022年11月12日

越後三十三観音巡礼その8

報告が遅れてしまいましたが、越後三十三観音巡礼も8月25日に第二十六番札所の乙宝寺から第二十九番札所の宝積院まで巡拝させていただきました。乙宝寺のご本尊は如意観世音菩薩様です。所在地は胎内市乙1112です。
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今までの中では一番広かった。
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五重塔もあったりして、施設も立派でした。
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案内板を見てもその雄大さがわかります
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■ご縁起
 奈良時代天平8年創建。聖武天皇の勅令により行基婆羅門両高僧建立。行基は大日三尊を刻み、婆羅門は釈尊左眼舎利を安置した。右眼を納めた寺を甲寺と呼ぶのに対して、左眼を納めた寺を乙寺と名づけたという。往古は乙きのと寺と称した。きのとの大日様とも呼ぶ。十万石の格式と一山に千の僧坊をかまえた霊場寺院として知られた。七堂伽藍が完備し、文化財の宝庫と共に天平の風情を今にとどめている。観音堂は江戸中期境内地桜園にあった。松尾芭蕉も奥の細道で参拝し、観音堂登り口に句碑がある。うらやまし浮世の北の山桜。

第27番札所は光浄寺です。所在地は村上市有明713です。ご本尊は十一面観世音菩薩様です。
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■ご縁起
 弘治2年玄徹禅師が郷清水の水底から光を発して現れた十一面観世音を本尊として安置したのが、寺の始まりという。その後、万治元年この観世音を信仰していた村人が西国巡礼に旅立った。ところが道中持病が起きて大変苦しんだ。そこで、一心に観音の御加護を念じていると、1人の老僧が現われて「汝の信心浅からざるによって、その苦しみを救うべし」と持っていた瓶の水を注いだかと思うと、病はすっかり治ってしまった。そして老僧が、自ら杖を作って与え消え失せた。老僧が杖を作るとき、小指を傷つけたが、今も観音の小指に傷跡が残っている。





posted by ニレイ at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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