2023年01月08日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年12月は慌しさに紛れブログの更新ができませんでした。今年も月一の更新を目標に頑張っていきたいと思います。さて昨年は越後33観音巡礼を行い、無事全てをお参りすることができたのですが、ご報告できなかったので新年最初にありがたいお寺の写真をたくさんアップしていきます。

第28番札所は白蓮寺です。所在地は新発田市五十公野1856です。ご本尊は十一面観世音菩薩様です。
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こちらのお寺は猫が外に出るとのことで、締め切ったままでした。残念!
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■ご縁起
 人皇51代平城天皇の御代、大同2年、慈覚大師が仏教弘道の使命を帯びて聖徳太子御作の十一面観世音菩薩の尊像を捧持して当国へ御来錫された。その時大師は奇巌怪石重畳たる岩井戸山に登り、恭しく尊像を奉安して護摩迦行をされ観音夢想に依り当地を開闢された。或る夜白衣の乙女が白蓮を慈覚大師に授け、消えるが如く飛び去ったので大師は岩井戸山を観音霊地と定め、四十間四方の浄地を境内となし、大悲十一面観世音菩薩の尊像を安置して岩井山白蓮寺の草創としたのである。

第29番札所は宝積院です。所在地は北蒲原郡聖籠町諏訪山578です。ご本尊は十一面観世音菩薩様です。
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こちらの駐車場から大きな衝撃音が聞こえびっくりして見に行くと、奥様と思しき方が車庫のポールと接触されたしまったようでした。もろもろ軽症でありますように。お寺は階段が多く足腰が丈夫でないとお参りできません。
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■ご縁起
 天智天皇の頃、百合若大臣と言われる武勇に勝れた壮士がいた。この壮士は当山の洞より名鷹を得て、緑丸と名付けて可愛がり、鷹も忠を尽した。聖武天皇の天平9年、泰澄大徳が当地に来て、緑丸の追善供養の為、十一面観世音菩薩と仁王尊を彫刻した。平城天皇の大同元年、何処からともなく異人が来て堂舎を建て、この聖者が籠ったことから、聖籠山と名付けられた。慶長13年、新発田藩主溝口秀勝公は観世音菩薩への信仰が篤く、観音堂ならびに仁王門を再建し、永く国家鎮護、心願成就の道場とした。

posted by ニレイ at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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