当山は大同2年、善光寺で四十八夜念仏修行された常尊上人が、阿弥陀三尊を彫刻して安置したのがはじまりで、境内に八カ寺を擁し七堂伽藍並び備わった大寺院であったという。殊に椿沢寺観世音のご縁起には、『昔、この村に椿の霊木が流れついた。丁度その頃、北越巡錫中の行基菩薩が、この霊木を一刀三礼して彫刻したのが御丈三尺五寸の本尊千手観世音である』と。その後上杉謙信公もこの観世音を深く信仰され、祈願成就の御礼として寺領、仏画、陣銅羅等礼状を付けて寄進され、今尚寺宝として保存され、本尊と共に1代1回の御開帳となっている。※ 観音堂は椿沢寺より離れたところにあります。ご朱印等は椿沢寺で頂けます。
行基菩薩が、この地で自ら彫刻して安置された御丈五尺の千手観世音が御本尊である。この観世音の開眼法要のとき、山上に北斗七星が煌々と輝いたので、その山頂に観世音の守りとして七所権現をまつり、その山を七所山と名づけた。その後、紀州日高郡日吉郷浄蓮上人と坂上田村磨が力を合せて伽藍を建立し寺は栄えた。又上杉謙信公も深くこの観世音に帰依し境内に我浄寺・福常寺の2ケ寺を建立して観世音の供養を命じた。八幡太郎義家もここに参詣し鰐口を奉納したという。七所山と呼ばれる裏山は経塚になっており銅製の仏像等県重要文化財が多く発掘された。