7月18日に、第21番札所から第24番札所まで巡拝させていただきました。
第21番札所 吉田寺 住所は燕市渡部1195 ご本尊は聖観世音菩薩様です

■ご縁起
吉田寺のご本尊は、古来より黒滝城の守り本尊としてまつられた聖観世音(行基菩薩御作)であります。たまたま、戦国時代の城主照田越前守日下部吉傳は深く仏法に帰依し、自ら出家し、石瀬種月寺第七世樂崇文詔禅師の弟子となり、永正年間(約480年前)城内に寺を建立して吉傳寺と称した。1578年御お館の乱おこり、黒滝城落城とともに数名の武士が、命がけで当時砦であった現在の地に移して寺を建てた(吉傳寺→吉田寺となる)。その後、何度かの火災にあい、特に大正14年11月に不慮の火災で伽藍悉く焼失し、昭和3年、現在の伽藍が完成して今日に至っている。
第22番札所 国上寺 住所は燕市国上1407 ご本尊は千手観世音菩薩さまです。
こちらのお寺は、比較的有名です。最近では新たに飾った絵が話題になっていました。また吊り橋や弥彦に通じる参道があったりと色々楽しめるお寺です。
■ご縁起
国上寺の開山は遠く元明天皇、和銅2年、越後一の宮弥彦大神の詫宣により、建立された越後最古のお寺であります。孝謙天皇の御宇に当山は、国中上一寺の勅宣あり、中略して国上寺という。開山当時(709年)は、修験道であったが、時代の権力者に改宗され、法相宗、天台宗、真言宗醍醐派、真言宗豊山派へと現在に至る。住時には、上杉謙信公より十万石の格式を賜り、国上山の中に二十一ヶ寺、他県内外あわせると百三十有余ヶ寺の末寺があったが、時代の流れにより、現在数ヶ寺の末寺だけである。千手観世音菩薩は、聖徳太子が北陸御巡行の折、お登りになり、お作りになった仏様であります。
第23番札所 観音寺 住所は弥彦村観音寺453 ご本尊は聖観世音菩薩さまです。
入り口に大きな金色の観音様がおられます。これが目印になります。
■ご縁起
御本尊聖観世音は、聖徳太子御作と伝えられる。その昔、安倍貞任の残党、黒鳥兵衛征伐の為、京都より当地に下った、北畠中納言時定公の守り本尊であった。時定公は、戦いの途中武運つたなく戦死してしまったので、守り本尊の観世音は、この地に庵を建て、安置したのである。この観世音を「このめ沢の観世音」という。今はこのめ沢の地名は、どこか不明であるが、以前観音堂は七曲りに有った。この七曲りを、昔は、「このめ沢」と言ったことからきているらしい。平成15年(2003年)に再建。
第24番札所 景清寺 住所は西蒲区平沢455 ご本尊は千手観世音菩薩さまです。
近くには新潟県で最初にできたゴルフ場があり、その横の細い道を抜けていきます。
■ご縁起
昔景清という人がいた。源氏の家に生れたが故あって平家の一族となった。幼い頃母と同じ観世音の霊夢を見て作られたのが一寸八分の紫金の観世音である。この観世音の背後には景清の2字が刻まれている。源平の戦いで平家は亡び景清は悲運な運命をたどったが、常に観世音を念じ救われた。建保2年(1214)8月15日九州宮崎で景清は48才で亡くなった。景清の忠臣景門という人は、奥州飯田山の麓平沢村の出身であったが、景清の遺言によって観世音を守って故郷へ帰る途中この地を通り、故郷と同じ平沢村というのでここに観世音を安置して生涯をとじた。